ひなまつり。
ひな祭りのエピソードがない。
なので、どこかのお金持ちのひな祭りに思いを馳せてみる。
昔から、大金持ちというのは贅を尽くしているものだが、ひな壇はどのようになっているのだろう。
実寸大のひな人形に、お雛様の顔の部分だけ自分の娘の顔が出せるようなスケールのものがあるのかな。
娘が大きくなるにつれて毎年作り直したしりして。
もし、娘が結婚しなかったら、いつまでやるのかな。
その二十歳を超え、三十代になり、やめるときの親の気持ち。
ギリギリまで使って細くなった輪ゴムが、とうとうプツリと千切れたようなものだろう。
きっと、その心の動きはすごく繊細かつ複雑なものなはずだ。
雛人形はしまってもしまわなくても、結婚しない人はしない。
それは親になったら、心にとどめておこう。
ツチノコ。
電験3種の資格を取ろうとしている。
資格というものは、ないよりはあったほうがいい。
だが、本当に時間を割いてまでやることかどうか。
やってて楽しい勉強だと、その時間自体に価値があるから良い。
趣味的な勉強だ。
しかし、果たしてなかばやらなくてはいけないように思う資格の勉強を、楽しくできるのか?
3分に一回くらいは眠くなるんじゃないのか?
興味をもって行動することは、ツチノコを探すようなことだ。
ヘビが餌を丸のみした姿を見間違ったのかもしれないのに、さも価値のある生物だった、と思い込んでアレコレ考えながら山の中を探しに行くのだ。
参考書での資格の勉強は、文字を追っかけることが多く、実際の状況を想像しづらい。
そんなところから、いかに「ツチノコ」を作り上げられるか。
願わくば、それが「本物のツチノコ」、つまり本当に興味を持って楽しめるものであってほしいなあ。
ちくわぶもんだい。
資格の勉強をしようか。
オイラは根無し草みたいな生活をしていた時期がある。
30代も後半に入ったが、なかなか世間に馴染んでいない自分がいる。
労働者として、使われ、生きていくのもいい。
得た金で、好きなものを食べて、好きなことをやって、死んでいく。
ここに信念があれば、人の目を怖がることはない。
しかし、オイラには相方がいる。
まず、最側近の相方の考えがある。
オイラにとって、相方は最重要の人だ。
そこで、勉強しようと奮い立たせてもらったのだが、もんだいが浮き上がった。
半年前に飼い始めたカメをどうするか。
最近、ゴハンをやるのも、水を換えるのも、おざなりになってきていた。
職探しや先のことを考えると、気持ちがせわしなくなる。
さらに、資格の勉強となるとカメにかまう時間があるのか、などと割れた地面の溝を深くのぞき込むような思考がでてくる。
飼う前にわかってたはずなんだけどな。。。
しかし、とにかく一番いい形になるようにしよう。
カメもオイラもストレスがないかたちに。
そのかたちは、泥だんごのようにやわらかく、ツヤびかりを放っているものだろうかな。
このもんだいは、丸くおさまる。
それまで、勉強をしつつも、しっかり世話をしよう。
肩もんだい。
肩もんだいがある。
相方が度重なる残業と寝不足で、いつもより肩の痛みが増してるというのだ。
そして、オイラに肩をもんで欲しい、という雰囲気を漂わせてくる。
オイラはパソコンの作業で指を痛めてしまって、数週間が経っても、完治していない。
なので、ものに力を入れるときに指を傷めないようにする。変な体勢になったりもする。
それにともなって、肩もこる。
でも、肩をもんでほしいとは、言えない。
幼稚園のとき、お弁当に入れてくれたゼリーを先生に注意され、帰ってから母親に伝えづらかったあの日のように、言えない。
もの。
しあわせは、歩いてこないもの。
自分で選ぶもの。
くさりかけのいちごは美味しいくだもの。
そうなったのは、私のせいだもの。